【編集後記】エキリ、コロナと類書棚

これを書いている2020年4月現在、新型コロナウイルス禍の日本では不要不急の外出自粛が政府より要請され、東京の街は真綿で首を締められたように窒息しつつある。僕個人としては目前のウイルス感染の不安より、日本全国の書店数がさらに減るような事態を本当に危惧している。日曜日にぶらっと書店を訪れることができないなんて、それこそ心配でいてもたってもいられない。出版社を興してまだたいして活動もしていないのに、売っていただける書店様が減ってしまうなんて、戦う前から見えないボディーブローを食らっているようなものだ。しかし、僕にできることと言えば、いてもたっても本を読み、本を作ることくらいしかない。まずは生き延びる。生き延びて、いつか笑って素晴らしい本を公園でゆっくり読む日々を思い描こう。

 

このような特異な状況下で小社第一弾『エキリ・コミッション 謎の感染症に挑んだ医師たち』(以下、『エキリ・コミッション』)を刊行することになったのは運命のいたずらとしか思えない。本書を企画して会社を設立した時は、新型コロナウイルスなど影も形もなかった。ただもう素晴らしい書籍の刊行に携われることが嬉しい僕は、人目につかないところでこっそり歓喜雀躍していただけだった。それが突如として、ウイルスと戦う人類史のリアルタイムな文脈の中に本書を投じることになるとは。増補改訂版ということで、出版業界の人なら、マーケティング的に狙った企画だと考える人がいるかもしれないが、僕と本作品との出会いはそもそも全く偶然のことで、その経緯は本書を読んでいただければわかる。

 

コロナウイルスに先立ち、ペストや天然痘、コレラなどあまたの感染症が人類を襲ったきたが、本書もそのうちの一つ、戦後日本で蔓延した謎の感染症とその解明に挑んだ医師たちの物語である。その病気はエキリと呼ばれた。エキリとは何だったのか、それについては本書を存分にお読みいただくとして、ここでは類書を紹介しつつ、本書の魅力をできる限りお伝えしたいと思う。

 

感染症について書かれたノンフィクションと言えば、スティーヴン・ジョンソンの傑作、『感染地図』(河出文庫)がある。19世紀中ごろのロンドンにおけるコレラのパンデミックに取材したもので、その原因を究明しようとする牧師ホワイトヘッドと、麻酔科医ジョン・スノーの活躍がビビッドに語られる。

再現したのは1854年のロンドンでのパンデミック。『エキリ・コミッション』の医師が招聘されたのは今から73年前の1947年だが、そこからさらに遡ること93年前だ。当時のロンドンでは膨れ上がる都市人口に対してインフラが追い付かず、飲料水が汚染されたことが原因だった。そう言ってしまえば単純だが、コレラ菌がロベルト・コッホにより発見されたのは1884年。当時はそもそも細菌が病気の原因になることすら一般に知られていない中で、ジョン・スノーの飲料水媒介説は当初は拒絶反応を引き出しただけだった。逆風の中で粘り強く調査を続けるジョン・スノー。他方、同時期に牧師ホワイトヘッドは教区市民を慰問しながら、まったく違うアプローチでコレラの謎を解き明かしたいと切望していた。神が罰を与えんがために感染症を解き放ち、ある人は苦しみ、しかし、信心深く人格的に優れた人は病気にかからないとする神学的解釈では納得できないことが多すぎた。

 

今となっては疫学の父とも尊称されるジョン・スノーが、周囲の無理解の中、いかに当局を説得しようと動いたか、最初はジョン・スノーの説を拒絶した牧師ホワイトヘッドがいかに転向して良き理解者となったのか、ノンフィクションが好きな読者には最高の読み応えである。『感染地図』を興味深くお読みになった読者には『エキリ・コミッション』も強くお勧めしたい。

 

『エキリ・コミッション』でも、招聘された医師たちは逆境にさらされた。終戦からまもない日本で、米国人医師たちがスムーズに活動できないことは想像するに難くない。当時、エキリの権威だった駒込病院の内山院長に対し、遠慮なく意見をぶつけるシーンなど、現代人であれば年齢や地位の上下関係に拘泥しないフランクな態度としてそれほど違和感はないが、当時の日本人には驚愕だっただろう。研究設備はもちろん、薬どころか日々の食べ物にも事欠く日本では、入院患者は自分で布団をもってきて、親族が身の回りの世話をして食事も作っていた。入院した子どもの父親が「庭へとびだして七輪に火をおこし、重湯をつくりはじめた。そばで赤ん坊を背負った女が七輪をあおいでいる」。病院にあったおまるを鍋代わりに誰かが使ってしまったという。もちろん、お金がない患者は入院すらできない時代だ。そうした困窮の日本に戦勝国の医師がやってきて、彼らの論理でぐいぐいと調査を進めていく。日本人医師たちとギクシャクした関係ながら「子どもの命を救いたい」という共通の思いだけは通底して、果たして調査団はどうなっていくのか。当事者の心境が実にリアルに描かれているのは、著者が実際に訪ねて取材しているからだ。

 

特異な病気についての描写という点でも『エキリ・コミッション』は内容として貴重だ。『レナードの朝』で著名な脳神経科医、オリバー・サックスによる『色のない島へ─脳神経科医のミクロネシア探訪記』(早川書房)では、グアム島で報告されていた奇病、リティコ-ボディグについて生き生きと描かれている。

リティコ-ボディグは筋萎縮性側索硬化症、あるいはパーキンソン病のような症状を見せる神経病で、原因不明で治療法も確立されていない。一時は現地特有のソテツ食が原因と推測された。しかし、紀伊半島のある地域で発生する認知症のような風土病との類似性が指摘されたことで、さまざまな研究がなされた。この地域の川の水にカルシウムやマグネシウムなどのミネラル含有量が低いことが判明し、グアムの水質もそうであったためミネラル原因説が支持を集めた。カルシウムなどのミネラルが不足することで、そこに何かしらの環境要因が加わって神経組織に異常をきたすと推測されたのだ。

カルシウム不足というのはまさに『エキリ・コミッション』で仮説として提示されたエキリの原因だった。その証明を急ぐラポポートが、痙攣をおこしている少女から採血しようとしたとき、ドッド女医が手をはねのけて言う。

「サム、採血の許可を得てないじゃないの」

「しかしケティ、いまとらないとだめなんです」

はらはらしながら見守る小張医師。本書では本当にリアルな現場が再現されている。

『色のない島へ』では、サックス氏は外から来た観察者の立場なので、描写はより泰然としているが、エキゾチックなグアム島の文化の描写と合わせ、幅広く読者の関心を引く内容になっている。エキリとリティコ-ボディグは全く違う病気なのだが、その後の病気をめぐる歴史的な流れが非常に似ていることに気づいてもらえるだろう。と、あまり踏む混んでしまうとネタバレのようになってしまう。中途半端な紹介になってしまうが、『色のない島へ』をお読みの方には、同様に謎の病気を記述した文化誌として、ぜひ『エキリ・コミッション』もお楽しみいただきたいと思う。

 

謎の感染症というのはそれだけで恐怖の対象だ。それはまさに今、日本で新型コロナウイルスの感染が広がる中で僕たちが経験している恐怖である。しかし、人間は常にそうした病気と闘い、共存して生きてきた。個人レベルで見れば、あくまでかかるまいと恐怖し、対策する人、実際に感染する人、医療の現場で戦う人、生活を守るため汲々とする人、そもそもあまり気にしない人、思いはさまざまだが、生き延びようとする営みだけは共通している。『エキリ・コミッション』に描かれるのは、希望を失わない人々の営みの真実の物語だ。誰かは失われ、誰かは生き延びる。それは種としての人間の宿命だが、その中であらがうことこそ生命の輝きだと思う。本書に登場するのはごく一般的な、善意に満ちた普通の人々ばかりだ。だからこそ、普遍の輝きに満ちている。

ぜひ、ご一読願いたい。

 

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